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〈19〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 18

 昭和四十八年に二十八回目となる癸丑の蘭亭記念展が大阪と東京で開催されました。蘭亭に係わる文物が多数出陳されましたが、その中でも蘭亭硯には高い人気が集まり、会場の人気を独占していました。
 出陳された蘭亭硯には、廣東のペーリン山脈の赤紫色の端石硯と緑色の緑端硯でしたが、緑端硯にはとう河緑石硯と標示されていました。
 会場では緑端硯が幻の名硯とう河緑石硯に捏造されて脚光を浴び、爾来超越する名硯として、廣く喧伝されることになったのです。
 その後昭和五十年代には硯の書物が多数刊行され、それにも緑端製の廣東硯が悉くとう河緑石硯に偽造されていました。それはまるで名硯はとう河硯で決まると云う方向が示されたのです。
 そもそもとう河緑石硯とは、中國に於いても昔から「名は知ってはいるが実物は見たことがない」と云う幻的な代物です。ところが緑端の凡てをとう河硯と評価した為、硯市場には数十数百面のとう河硯が氾濫し、最早幻の意義は失せてしまいました。
 それでも、とう河硯については、大枚を投じて購入した人達は思考停止状態に陥っていて、その為自身の所有する硯こそは幻のとう河硯に違いないと頑なに妄信していたのです。
 ご記憶の方もいらっしゃることと思いますが、昭和三十年代の後半から、現代実用形硯二格青が大量に輸入され、新端溪硯として書道家に歓迎されていました。引き続いて宋坑端石硯、端溪麻子坑硯、そして、緑端硯が多数舶載されました。
 その時のことです。多くの書道家がとう河硯とは、この緑端であることに気付いたのです。
 製作年代が異なれば形は当然異なりますが、産出地が同じであれば石質は代わりません。偽装されたとう河硯と緑端硯の石質が一致することが明らかになったのです。
 しかし、一部の指導者はこの客観的な事実には目を背けて、間違ったとう河硯説に固執し改めようとはしませんでした。
 本物の甘粛省のとう河緑石は前にも申し上げましたが、特に勝れた石質ではありません。値打ちは緑端の十分の一以下です。従って、とう河硯を妄信する人のまなこは、失礼ながら節穴としか云いようがありません。
 下の圖版は、西清硯譜に収録されているなかの三面の蘭亭硯を転載致しました。
 1、宋緑端蘭亭硯、2、南宋蘭亭硯、3、宋薛紹彭(宋元祐〜宣和間の人)蘭亭硯。
 三面とも説明には緑端と明記されていて、とう河硯ではなくて緑端硯であることの決め手になっています。とう河説の誤りには殆ど気付き乍ら今尚主張する、やぶれかぶれの不具退転の一本道は、誇りなき傲慢。
 東洋の文人文化を蹂躙することを顧みないとう河緑石蘭亭硯説の誤りは過去のことにしたいと思います。

 
圖版1、宋緑端蘭亭硯

圖版2、南宋蘭亭硯

圖版3、宋薛紹彭

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