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〈17〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 16

 数年前のことですが、高等学校で書道を指導されているK先生が、教科書に緑端製の蘭亭硯がとう河緑石硯として掲載されていることに気付き、出版元に抗議の書簡を送りました。
 出版社からは掲載した蘭亭硯は、硯譜「廣倉研録」にとう河硯として収録されていることを理由に正統性を主張する回答があり、そこには何是とう河硯なのかについては全く触れずに、極めて不誠実なものだったそうです。
 勿論予想した通りの出版社からの返事ですが、そもそもとう河緑石蘭亭硯の誤りとは、中華民國時代(大正時代)に刊行された廣倉研録(とう驥英)に、廣東製緑端の蘭亭硯と逢来硯をとう河緑石に偽装して表示したことが発端なのです。
 従って廣倉研録こそが、とう河緑石硯説の間違いの元凶であり、研録以前の、清乾隆欽定(皇帝の命令で制定された)西清硯譜には、廣東製の蘭亭硯は「緑端」として表示されている通り、元元は緑端として伝えられていたのです。
 では一体何是廣倉研録には緑端硯をとう河硯に偽装しなければならなかったのかについては分かっていません。研録の硯を中心とした文物の多くは、大富豪のユダヤ系イギリス人ハートン氏の所蔵品と云われています。
 そこでかつて上海を訪ねる毎に、当時同市で権勢を振るったハートン氏と、所有した文物についてのかかわりを調べてみました。
 しかし、南京路に氏の私邸であった上海博覧館あるいはハートンビル等は残っていますが、手掛かりすら掴めていません。
 廣倉研録の刊行に際して、とう河硯については「とう河硯の名は知っているが、実物は見たことがない」と云う旧文献の説を斟酌し、とう河硯を幻の名硯に位置づけ、幻想的に遥か遠隔の地、とう河の名を緑端の蘭亭硯に冠したものと考えられます。
 聊かなりとも緑端硯の知識を持っていたなら、このような間違いは発生しなかったと思います。
 圖版、緑端・蘭亭硯(現代)
 緑端を素材とした廣東で造られた現代の蘭亭硯です。旧硯にも決して見劣りのしない実に見事な出来映えです。
 正面の曲水を象る墨池に水を注ぐと、鵞鳥がすうっと流れに従って泳ぐように見えてきます。背面には陽刻された百羽の鵞鳥が微笑みをうかべて、まさに恵風和鴨せりの風情です。
 中國硯は産出地によって石質は勿論のこと、形にもそれぞれの特徴が見られます。特に蘭亭硯は端硯の製作地廣東に伝わる伝統的手法によって造られた漢民族の文人文化の象徴を示しています。
 一方の甘粛省のとう河地方は、現在も少数民族が居住し漢民族とは異質の文化を持ち、このとう河の地に立てばここで旧時代に蘭亭硯が製作された筈がないことは分かります。

つづく

 
背 面   圖版、緑端・蘭亭硯

 

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