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〈14〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 13

 端溪水巌(老坑)が再開されたのは昭和四十六年。再開されると同時に現代の水巌硯が製作されて、廣州市工芸品公司を通じて日本に舶載されたのです。
 優秀な素材の水巌(老坑)硯は可成の数量に及び、四十年代の後半から五十年代の後半に至る十年間が最盛期であったと思います。
 「圖版十、二十四、二十五」はこの時期に製作された水巌硯です。
 現代硯の形には違和感がありましたが、三十年の歳月が過ぎて近時製作される物と比較すると、素朴な力があり改めて見所が見えてきました。
 既にお伝えしたと思いますが、老坑の採掘権を持ち管理していたのが肇慶市端溪名硯工場です。大勢の従業員を抱え工場内には美術館並の展示室を設け見学者で賑わっていました。
 ところが平成に入り暫くすると、突然工場が閉鎖されてしまいました。従って、採掘作業も中止となり現在に至っています。尤も今水巌坑は地下水が入口迄あふれ出ていて、仮に工場が開かれたとしても採掘が出来る状況ではありません。再開された老坑は四半世紀で再び閉ざされてしまいました。
 端硯の産出地廣東では、中國内の需要が高まり以前にも増して端硯は製作されていますが、気掛かりなのは原石についてです。
 中國の國土省の通達により斧柯山の端溪石及びペーリンの端石が採石禁止となり、当然のこと乍ら原石は不足し、老坑の原石は十年も以前に底をついてしまいました。
 そこで端溪石に代わって使用されているのが沙浦の硯石です。「圖版二十九、沙浦石・秋爽硯」は、淡い紫色の脂暈、透き通る青色の天青色に青花も現われて大変奇麗です。
 沙浦は斧柯山の下流数十キロに在り、大分以前から露天堀で大量に採石が行われています。規模が大きく、一メートルをこえる大原石が掘り出されています。水巌(老坑)に酷似していて水巌硯について余程熟知しない限り水巌硯との区別は難しいと思います。
 平成に入ってから我が國では新老坑硯の人気が俄かに上昇し、書道雑誌でも盛んに宣伝されていましたが、当時の新老坑硯の殆どにこの沙浦硯が使われていたのです。
 水巌硯(老坑)と沙浦硯は採掘地が異なることから石質も違います。この違いについては端硯をご理解頂く為の重要な課題と思います。「圖版六、湖南緑石・登龍門硯」(清代)
 禹の時代に全國各地から選ばれし七十二匹の鯉が黄河を溯り龍門に至って、天からの強烈な光を受けて龍と化して天に昇ると云われています。
 又、官吏の採用試験の科挙の合格を意味するそうです。登龍門硯、龍硯については今迄にもご案内してきましたが、この硯には悠悠とした朗らかな気分にさせられます。
 隣國では昔から多くの龍が大地を守り、現在も若き雄龍が陸続と登場し、民と力を合わせ大強國に発展し経済力は勿論のこと、真の國力を蓄えて大地に足を付けて、超大國の道を進んでいます。
 翻ってみずほの國は、四百余州を挙る十万餘騎の敵國難ここに見る弘安四年の夏の頃。然るに頼りの鎌倉男児が金魚とどぜうでは聞いてあきれが蜻蛉返し。昔から世界の歴史は陣取合戦、盤上の黒白、盛者必衰の理をのがれずは中学生でも知るところ。賽の眼の出所分からぬ素人軍師と四書(大学・中庸・論語・孟子)五経(易経・詩経・書経・礼記・春秋)の彼の國とは格の違いか。
 この度は古名硯と現代の佳硯等を登載してここに第百八十二巻東京精華硯譜を発刊致します。

 
圖版十、二十四、二十五
十、二十四、二十五
沙浦石・秋爽硯 湖南緑石・登龍門硯

二十九、沙浦石・秋爽硯

六、湖南緑石・登龍門硯
 
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