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〈13〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 12

 東日本大地震は自然の無常とは云え、万の命を失う悲惨さは言葉になりません。硯の資料室では百日間の喪に服し、自粛してまいりましたが、今号より活動を再開することに致しました。
 過日は長野県飯田市の愛硯家、K老師のご依頼で硯の説明会に出掛けました。初めて利用する新宿発の高速バスは快適な乗り心地です。八ヶ岳や諏訪湖が車窓に流れる景色は実に美しく、山々の上を雪を戴く南アルプスの頂きは、戦時中疎開した信州で眺めた風景の残像とも重なりました。
 夏の日が漸く暮れてバスは飯田に到着、七時を過ぎていましたが、繁華街の燈火(あかり)は殆ど消えていて、街は静まりかえっていました。
 硯の説明会場は、丘の上に在り旧城跡に建てられた飯田市美術博物館です。
 この日の演題は当初は「中國硯について」でしたが、飯田市出身の英文学者、日夏耿之介(ひなつこうのすけ)の収蔵硯がこの博物館に寄贈されていて、硯を通して日夏氏の人となりを語ることに変更され、既に案内状にもこのような趣旨が記されていました。
 明治二十三年生れの日夏氏は、生前北原白秋、芥川龍之介等と交流のあった詩人ですが、私は存じ上げていない為、人となりを申し上げるには極めて不適任です。しかし幸いなことに拝見した十面の古硯は、各々に個性を持つ佳硯であることが救いでした。
 会場では古硯がスライドで写し出されたので、一面一面を出来るだけ詳しく説明致しました。人となりについては行き届きませんでしたが、古硯を通じて詩人の魂の一端をお伝えすることが出来たのではないかと思っています。
 圖版の龍斑石・長方硯は三代目柴口高斉(九十六歳)の父親が龍斑石と命名した大正時代の作品です。大正から昭和の初めに掛けて都内の書道用品店で販売され、高評を得た為贋作も登場したそうです。
 素材はこの度の大津波で被害を受けた、代表的な和硯の生産地、宮城県の雄勝(おがつ)の石です。最近は雄勝硯(おがつすずり)と呼ばれていますが、元元は玄昌石硯(けんしょうせきけん)。端硯は勿論のこと羅文硯も大量に輸入されていない時代は、雄勝の玄昌石硯が硯市場での主流を占めていました。
 五十年ほど以前雄勝を訪ねていますが、当時は大勢の硯工が活躍していました。
 二代目柴口は建築用材のスレートを雄勝で求めると同時に、独自に良質な硯材を捜し当て龍斑石硯を製作したそうです。縦が四寸横が二寸の四二寸(しにすん)型の大きさは、細字、かな用に適しています。
 形には大正時代の丁寧さがあり、紙張の化粧函にも時代の風雅が滲み出ています。

 
龍斑石・長方硯
龍斑石・長方硯
 
 
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