中國の名硯タイトル  
硯の話 東京精華硯譜 東京精華眞寶 その他 トップページ  
 
硯の話トップ  <前ページへ  次ページへ>
硯の話タイトル

〈3〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 2

 同じことをくどくどと繰り返し話すことを、中國語ではろうろうそうそうと云います。廣東の緑端硯がとう河緑石硯に間違って評価された、とう河硯説の誤謬の訂正も、殆どろうろうそうそう的にお話し申し上げてきました。
 一旦間違った通説を根底から覆す為には、百年位は掛かると云われていますが、それでも近時はかつてのとう河硯説の間違いについて、各方面の方々からご理解を頂くようになってまいりました。
 ところがこの夏の書道雑誌に筆墨硯紙が取り上げられ、冒頭に緑端製の蓬莱硯がとう河緑石硯として掲載されているのには唖然とさせられました。
 大正時代に後戻りです。余程関心を持たない方か、あるいは知っていて無理遣りとう河緑石硯に押し通そうとするのであれば、これは悪質としか云いようがありません。
 この春に他界された書道家松下芝堂先生が昨年の洗硯会に車椅子で参加され、とう河緑石硯についてご質問があり、緑端硯ととう河緑石硯をご覧頂き、出来るだけ詳しくご説明致しました。お体がご不自由の様子でしたが、小さな声で「よく分かりました」と、応えてくださったことが心に残りました。
 「圖@」は、廣東製の緑端硯、「圖A」は甘粛省のとう河緑石硯です。
 ご覧のように両硯とも緑石の硯ですが、その違いは一目瞭然です。
 とう河緑石硯説の間違いとは、廣東の緑端硯をとう河緑石硯に評価したことです。
 清乾隆欽定西清硯譜に緑端製の蘭亭硯が、緑端硯として収録されているように、もともと中國に於いても緑端の硯は緑端硯として評価されているのです。
 それが中華民國時代(大正時代)に刊行された廣倉研録に、緑端製の蘭亭硯と蓬莱硯をとう河緑石硯に捏造して掲載したことが、とう河緑石硯説の間違いの発端だったのです。
 廣倉研録ととう河緑石蘭亭硯、蓬莱硯が日本に舶載され、検証することなくとう河硯説を受け入れ、爾来我が國では凡ての緑端硯がとう河緑石硯と評価されてしまったのです。
 昭和四十八年に二十八回目となる癸丑の昭和蘭亭記念展が、大阪と東京の会場で開催され、とう河緑石蘭亭硯と表示された緑端硯が多数出陳され、主役を勤めていました。
 当時は中國硯の人気絶頂期であり、硯の本も多数刊行され、超越する名硯としてとう河緑石硯が紹介され、とう河硯は値段が高騰し、高い物程良しとする間違った方向へ進み、暗澹溟濛の極に達したのです。
 それでは何故緑端硯がとう河硯であってはならないのかについてご説明致します。緑端硯は、端溪硯、端石硯と同様に廣東省の旧地名端州で、昔から漢民族によって製作された硯で、現在もこの地域には伝統技法が受け継がれています。
 一方の甘粛省のとう河の地域は、現在も少数民族の居住するチベット自治区です。暫く前までは羊の皮を浮き袋とした筏が使われ、又、鳥葬(宗教上の理由で、遺体をタカ等の餌食にする葬り方)が行われる等、漢民族とは異文化の地方です。
 従って、漢民族の文人文化の象徴でもある蘭亭硯が、とう河の地で造られる筈がありません。これは中國の文化歴史の問題であり、この大事な部分が間違ってしまっては中國硯説は成立しないのです。
 尚最近では上海市工芸品公司が、とう河原石を取り寄せ同公司で現代の蘭亭硯を製作しています。
 緑端硯ととう河硯の原石を採集し、硯との照合によって、何が緑端でとう河硯であるのかは科学的にも証明されています。

03_1 03_2  
圖@ 圖A  
 
硯の話トップ  <前ページへ 次ページへ>
硯の資料室
Copyright (C) 2008 IENTAI Co., Ltd. All Rights Reserved.