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〈2〉硯美艸堂雑記(けんびそうどうざっき) 1

 昨年夏の洗硯会に、川越市の医師F先生がカメラマンを伴って出席されました。ご持参の硯を取り出して、この硯が安重根本人の硯か否かについてのご質問です。
 通常硯を拝見する際には、全体を十分に精査した後に在銘を見ることにしていますが、この時は行き成り、友蓋に刻まれた安重根の銘を突き付けられたのです。
 しかし其の一瞬、何故か安重根の硯であることが心に伝わってきたのです。そこで、「間違いなく安重根の硯です。」と即答し、この硯について、朝鮮半島の李朝硯であること、本人が名前を刻んだ特徴等を一時間近くを掛けて説明致しました。
 その翌日某新聞社より、安重根の硯についての取材の申し込みがありましたが、お越しにならずとも、その件については昨日録音されていることが凡であることを伝えました。
 尚紙面に載せる前に、安重根の書のコピーを見せて欲しいと依頼しました。程なくして新聞社より、安重根絶筆のコピーが届き拝見するとその見事さには言葉を失いました。
 半切と思われる大きさに、正書で「為國献身軍人本分」國の為に身をささげつくすことは軍人の本分と書かれています。
 人間の魂が込められた書の素晴らしさと、そうでない書との次元の違いをまざまざと見せつけられる思いがしました。
 安重根は明治四十二年にハルピンに於て、我が國の元勲伊藤博文を銃で撃った韓國の軍人です。彼はハルピンで逮捕され旅順の刑務所に護送されます。その時の看守を勤めたのが陸軍憲兵千葉十七です。
 千葉は何故伊藤公を殺さねばならなかったのか深い憎しみを安に対して持っていました。
 しかし、安の人間性に接するうちに憎しみは消えて行きます。
 裁判は異例の早さで進み、五ヶ月後に死刑が云い渡されましたが、安は控訴しませんでした。それは母から届いた忠告にも因ります。「年老いた母より先に死ぬことを不孝と考えたらこの母が笑われる。そなたの死は韓國民の公憤を背負っているのですよ。控訴は命ごいになってしまう。」
 処刑の日の朝、安重根は硯に水を注ぎ墨を摺り、用意された絹紙に「為國献身軍人本分」と書し、千葉十七に託したのです。
 別れ際に「千葉さん大変お世話になりました。又いつの日か日韓両國の友好が深まった来世で、お目に掛かることを楽しみにしています。」と云って差し出した安の手のあたたかさを千葉は終生忘れなかったそうです。
 その時、安重根三十一歳、千葉十七二十四歳。千葉は故郷の宮城県に帰還し五十歳で他界。安重根の遺品と共に菩提寺の大林寺で眠っています。
 私が拝見した安重根の硯は、広瀬医師から大林寺に寄贈されたことを住職より聞かされました。時期を得て韓國へ返すとの事ですが、それが実現されて両國の友好の一助となることを期待しています。
 安重根と千葉十七の両氏は、既に極楽宝土で再会を果たしていると思います。
 硯美艸堂は、美しき硯のある草ぶき屋根の家。

 
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